書くことの難しさと、それを支える「知識」
大学でレポートや論文を書く経験は、多くの学生にとって大きな試練です。高校までの作文とは異なり、学術的なライティングでは文法や語彙の知識だけでなく、自分の思考プロセスを客観的に見つめ、適切な戦略を選んで実行する能力が求められます。たとえるなら、料理のレシピを知っているだけでは美味しい料理が作れないのと同じで、ライティングについての知識があっても、それをどう使うかという「メタ的な知識」がなければ良い文章は書けません。 スイスのチューリッヒ大学教育研究所に所属するYves Karlenは、この「書くことについての知識」、専門的にはメタ認知的方略知識(Metacognitive Strategy Knowledge, MSK)と呼ばれるものに注目しました。Karlenの研究”The development of a new instrument to assess metacognitive strategy knowledge about academic writing and its relation to self-regulated writing and writing performance”は、Journal of Writing Researchという専門誌の2017年号に掲載されたもので、大学生の学術的ライティング能力を評価する新しいテストの開発について報告しています。
なぜメタ認知が重要なのか―自分の思考を客観視する力
メタ認知という言葉は難しく聞こえますが、要するに「自分の考え方について考える」ことです。論文を書く場面で言えば、「今この段落は論理的につながっているだろうか」と自問したり、「ここで具体例を入れた方がわかりやすいかもしれない」と判断したりすることが、メタ認知的な活動にあたります。 Karlenは論文の中で、メタ認知を「知識の要素」と「調整の要素」に分けて説明しています。知識の要素とは、記憶や理解、学習プロセスについて言葉で説明できる知識のことです。一方、調整の要素とは、実際に自分の認知活動を監視したり制御したりする実践的な側面を指します。この二つは車の両輪のようなもので、どちらか一方だけでは十分に機能しません。 研究の背景として重要なのは、優れたライター(書き手)とそうでない書き手の間には、このメタ認知的知識に明確な差があるという先行研究の蓄積です。たとえば、Graham、Schwartz、MacArthurらが1993年に行った研究では、通常の高校生は学習障害を持つ生徒よりも精緻なメタ認知的方略知識を持っていることがわかりました。また、Ferrariらの1998年の研究では、優れた書き手は書き始める前により長く考え、文章の構造をより正確に評価することが示されています。
既存の測定方法の問題点―量か質か
従来、メタ認知的方略知識を測定する方法としては、質問紙調査、インタビュー、思考発話法などが使われてきました。しかし、これらの方法にはそれぞれ問題があります。 質問紙調査は大人数に実施できる利点がありますが、多くの場合「量的基準」に基づいています。つまり、「より頻繁に戦略を使う方が良い」という前提で設計されているのです。しかし、ライティングにおいては、必ずしも「多ければ良い」というわけではありません。むしろ、状況に応じて適切な戦略を選べるかどうか、つまり「質的な適合性」の方が重要なのです。 たとえば、レポートを書くとき、常に詳細なアウトラインを作成する学生と、テーマによってアウトラインの詳しさを調整する学生がいたとします。前者は「計画戦略の使用頻度」という点では高得点になりますが、必ずしもより優れた書き手とは言えません。短いエッセイなら簡単な構想メモで十分かもしれませんし、長い研究論文なら詳細な構成案が必要でしょう。状況判断ができる後者の方が、実際には高いメタ認知的方略知識を持っていると言えます。
Karlenが開発した新しいテスト―シナリオベースのアプローチ
こうした問題意識から、Karlenは「質的基準」に基づく新しいテストを開発しました。
このテストの特徴は、具体的なライティングの場面(シナリオ)を提示し、複数の戦略の有用性を評価させる形式になっている点です。 開発プロセスは3段階に分かれています。まず予備調査として、51名の大学生に対して、論文執筆の各段階でどのように行動するかを自由記述形式で尋ねました。「論文を書き始める前に何をしますか」「執筆中に軌道を保つために何をしますか」「論文を見直すときどのように進めますか」という3つの質問です。 この調査から得られた学生の実際の行動を基に、理論的に有用性が異なると考えられる27の戦略を選び出しました。たとえば、「書き始める前」の段階では、「すでに多くの研究がなされているテーマを選ぶ」「いつまでにどの目標を達成するか時間計画を立てる」「課題を見てすぐに書き始める」といった選択肢が含まれます。これらは明らかに有用性が異なりますよね。十分な資料があるテーマを選ぶのは賢明ですし、時間計画を立てるのも重要です。一方、課題を見てすぐ書き始めるのは、あまり効果的とは言えません。 次の段階として、Karlenは言語学者や学術的ライティング研究の専門家23名に、これらの戦略を評価してもらいました。各戦略を6段階で評価し、「ある戦略が別の戦略より有用」という判断について、専門家間で少なくとも75%の一致が見られたペアだけを最終的な採点基準として採用しました。この手続きにより、34のペア比較が確立されました。テストの構造―論文執筆の3つの段階
最終的なテストは、自己調整的ライティングの3つの段階に対応する3つのシナリオで構成されています。 第1のシナリオは「書く前の準備段階」です。ここでは、テーマの選び方、時間計画、ブレインストーミング、問いの立て方などに関する戦略が含まれます。学生時代を思い返すと、いきなり書き始めて途中で行き詰まった経験はないでしょうか。優れた書き手は、書き始める前の準備にかなりの時間をかけます。どんな論点を展開するか、どの文献を使うか、全体の構成をどうするか。こうした事前の思考が、執筆をスムーズにするのです。 第2のシナリオは「執筆中のモニタリング」です。書いている最中に、自分が正しい方向に進んでいるかを確認する活動が対象です。たとえば、「書いている内容が課題の要求に合っているか定期的に確認する」「論点を見える場所に置いて、本筋から外れないようにする」「書いた部分を声に出して読み、理解しやすさを確認する」といった戦略が挙げられます。 第3のシナリオは「執筆後の見直し段階」です。ここでは、内容と文体の両面からどのように推敲するかが問われます。興味深いのは、「書きながら同時に内容と文体を推敲する」という選択肢があることです。これは効率的に見えますが、実際には認知的負荷が高すぎて、どちらも中途半端になりがちです。一旦書き上げてから、時間を置いて見直す方が、客観的な視点で問題点を発見できます。
測定結果が示すもの―知識と実践の関係
113名の大学生を対象とした本調査では、いくつかの重要な知見が得られました。 まず、メタ認知的方略知識のスコアは、学生の実際のライティング成績と正の相関を示しました(相関係数0.37)。つまり、どの戦略がどういう場面で有用かをよく理解している学生ほど、実際に質の高い論文を書く傾向があったのです。これは予想通りの結果ですが、重要なのはその関係の強さです。 さらに興味深いのは、メタ認知的方略知識と自己報告による戦略使用頻度の関係です。両者は中程度の正の相関(相関係数0.29〜0.32)を示しましたが、ライティング成績との関連で言えば、メタ認知的方略知識の方がより強い予測力を持っていました。これは何を意味するのでしょうか。 戦略を頻繁に使っていると報告する学生が必ずしも高い成績を取るわけではない、ということです。重要なのは頻度ではなく、適切さなのです。野球に例えるなら、ストレートを投げる回数が多いピッチャーが優れているとは限りません。大切なのは、どの場面でストレートを投げ、どの場面で変化球を使うかという判断力です。 Karlenは統計的な分析手法(パスモデル)を用いて、これらの関係をさらに詳しく検討しました。その結果、メタ認知的方略知識は、実際の戦略使用を媒介して間接的にも成績に影響を与えることがわかりました。つまり、適切な知識を持っている学生は、実際により効果的に戦略を使い、それが良い成績につながるという連鎖があるのです。
この研究の強みと工夫
Karlenの研究にはいくつかの優れた点があります。 第一に、実際の学生の行動から戦略リストを作成した点です。研究者が頭の中だけで考えた理論的な戦略ではなく、実際に学生が使っている(あるいは使おうとしている)戦略を基にしているため、現実味があります。これは教育研究において重要な視点で、理論と実践の橋渡しになっています。 第二に、専門家の評価を明確な基準として用いた点です。75%以上の専門家が一致した判断だけを採用するという厳格な基準により、テストの妥当性が高まっています。もちろん、専門家の間でも意見が分かれる戦略もあります。そうした「グレーゾーン」の戦略は評価から除外されているため、テストは比較的明確な正誤判定ができるものになっています。 第三に、テストの実施時間が短い(平均2.35分)点です。研究の文脈だけでなく、実際の教育現場でも使いやすい長さになっています。学期の初めにこのテストを実施すれば、教員は学生のメタ認知的知識のレベルを把握し、必要な指導を計画できます。
批判的に見た場合の限界
もちろん、どんな研究にも限界はあります。Karlen自身も論文の中で正直にいくつかの制約を認めています。 まず、このテストは学術的ライティングという特定のジャンルに限定されています。学術論文を書くスキルと、たとえば創作文や新聞記事を書くスキルは異なります。さらに言えば、学術的ライティング自体も分野によって異なる規範や慣習があります。理系の実験報告と文系の批評論文では、求められる文章の特徴が違いますよね。 また、対象となった学生が教育学専攻の学生で、しかも82%が女性だったという点も、結果の一般化可能性に影響するかもしれません。教育学を学ぶ学生は、学習理論や自己調整学習について授業で学んでいる可能性が高く、メタ認知についての意識が一般の学生より高いかもしれません。理系の学生や、男女比が異なる集団で同じ結果が得られるかは、さらなる検証が必要です。 加えて、自己報告式の質問紙を用いた点も限界の一つです。学生が「モニタリング戦略を使っている」と報告しても、実際にどの程度効果的に使えているかはわかりません。理想的には、実際のライティングプロセスを観察したり、思考発話法を用いたりして、知識と実践のギャップをより詳しく調べることが望ましいでしょう。 さらに、テストに含まれる戦略が20に限定されている点も考慮が必要です。時間的制約から仕方ない面もありますが、ライティングの戦略は非常に多様です。より包括的な評価のためには、追加のシナリオや戦略を含めることも考えられますが、そうすると実施時間が長くなり、実用性が損なわれるというジレンマがあります。
教育実践への示唆―知識を教えることの重要性
この研究から得られる実践的な示唆は大きいと思います。 まず、大学教育において、ライティングスキルの指導は文法や語彙の教育だけでは不十分だということです。学生には、「なぜこの戦略が有効なのか」「どういう状況でこの戦略を使うべきか」といったメタ認知的知識を明示的に教える必要があります。 たとえば、「論文執筆では計画が重要」と言うだけでなく、「短いエッセイならアウトラインは簡潔でよいが、長い研究論文では詳細な構成案を作る方が後で楽になる」といった条件付きの知識を伝えることが大切です。また、「書きながら推敲する」ことの認知的コストについて説明し、「一旦最後まで書いてから、時間を置いて見直す」ことの利点を具体的に示すことも有効でしょう。 Karlenは、学生が複数の戦略を実際に試し、その効果を振り返る機会を持つことの重要性を指摘しています。これは学習理論で言う「経験学習」の考え方に通じます。教員が一方的に「この方法が良い」と教えるだけでなく、学生自身が異なるアプローチを試して、自分にとって何が効果的かを発見するプロセスが必要なのです。
研究方法論としての意義―質的基準の重要性
研究方法論の観点からも、この研究は興味深い貢献をしています。 従来の多くの研究では、学習戦略の使用を「頻度」で測定してきました。しかし、Karlenが示したように、質的な適合性を測る方法の方が、実際の成績との関連が強いのです。これは教育心理学研究における測定方法の改善につながる知見です。 シナリオベースのテストという方法自体は、Karlenのオリジナルではなく、読解や数学の分野ですでに開発されていたものです。しかし、それをライティング、しかも大学レベルの学術的ライティングに応用したことは新しい試みです。この手法は他の分野にも応用できる可能性があります。たとえば、プレゼンテーションスキル、グループディスカッションのファシリテーション、研究計画の立案など、様々な学術的スキルのメタ認知的知識を測定できるかもしれません。 また、専門家の評価を基準として用いる方法も、今後の研究で参考になります。ただし、専門家間で意見が一致しない領域も多いことを考えると、専門家の選定や、どの程度の一致率を基準とするかという判断は、慎重に行う必要があります。
残された課題と今後の研究の方向性
Karlenの研究は重要な一歩ですが、さらに探究すべき点も多くあります。 まず、メタ認知的方略知識の発達過程についてです。この研究は横断的なデザインで、ある時点での学生の知識を測定しています。しかし、学生がどのように、どのくらいの期間でこうした知識を獲得していくのかは明らかではありません。縦断的研究により、学年が上がるにつれて知識がどう深まるか、あるいはライティング経験の蓄積とともにどう変化するかを調べることができるでしょう。 また、介入研究も重要です。メタ認知的方略知識を直接教える授業プログラムを開発し、その効果を検証することで、因果関係をより明確にできます。Karlenも論文の最後で、明示的な戦略指導の重要性を強調しています。 さらに、知識と実践のギャップをより詳しく調べる必要があります。メタ認知的方略知識を持っていても、実際の執筆場面で使えない学生もいます。その背景には、動機づけの問題、時間的プレッシャー、課題の難易度など、様々な要因が考えられます。こうした調整要因を明らかにすることで、より効果的な支援方法を開発できるはずです。 分野による違いの検討も興味深いテーマです。先ほど述べたように、学術的ライティングの規範は分野によって異なります。理系と文系、あるいは社会科学の中でも経済学と心理学では、求められる論文の形式が違います。分野特有のメタ認知的方略知識と、分野を超えて共通する知識を区別することで、より精緻な理解が得られるでしょう。
むすびに―知識と技能、両輪としての重要性
最後に、この研究が教えてくれる本質的なメッセージについて考えてみたいと思います。 現代の教育では、しばしば「考える力」や「スキル」が強調されます。確かに重要ですが、その土台には適切な知識が必要です。Karlenの研究は、メタ認知的「知識」の重要性を改めて示しています。どんなに練習しても、何が効果的かという知識がなければ、効率的な上達は望めません。 同時に、知識だけでも不十分です。知っていることと、できることの間には隔たりがあります。だからこそ、知識と実践を結びつける教育が求められます。学生に戦略についての知識を教え、それを使う機会を提供し、結果を振り返らせる。この循環的なプロセスが、真の意味での能力向上につながるのでしょう。 ライティングは単なる技術ではなく、思考のツールです。自分の考えを整理し、他者に伝え、新しい知を創造する営みです。その過程で、自分の思考プロセスを客観的に見つめ、より良い方法を選択していく力―これがメタ認知です。Karlenの開発したテストは、そうした力の一側面を測定する道具として、今後の研究と教育実践に貢献していくことでしょう。 大学で学ぶすべての学生が、適切なメタ認知的知識を身につけ、自信を持って学術的な文章を書けるようになること。それは理想かもしれませんが、Karlenのような地道な研究の積み重ねが、その実現に少しずつ近づけてくれるのだと思います。
Karlen, Y. (2017). The development of a new instrument to assess metacognitive strategy knowledge about academic writing and its relation to self-regulated writing and writing performance. Journal of Writing Research, 9(1), 61–86. https://doi.org/10.17239/jowr-2017.09.01.03
