研究の背景と筆者について
南アフリカ共和国のTshwane University of Technologyで応用言語を教えるFlorence M. Olifantによるこの研究”Breaking the cycle of poor critical reading comprehension: A strategy-based intervention”は、同国が長年抱える深刻な読解力不足という教育課題に真正面から取り組んだものです。南アフリカでは2021年の国際読解力調査(PIRLS)で、小学4年生の81%が「意味を理解して読めない」という衝撃的な結果が出ています。この数字は単なる統計ではなく、多くの子どもたちが教科書を開いても内容が理解できず、学習そのものが成り立たないという現実を物語っています。
Olifantはこの状況を「貧困な読解力の悪循環」と呼び、特に英語を第一追加言語(FAL)として学ぶ生徒たちが高校に進んでも基礎的な読解戦略すら身につけていない現状に着目しました。彼女自身が教育現場で目の当たりにしてきた生徒たちの苦闘が、この研究の出発点となっています。
研究の核心―6つの読解戦略
この研究の最大の特徴は、Bloomの教育目標分類学に基づいた6つの明確な戦略を体系化し、それを実際の教室で6か月間にわたって実践したことです。具体的には以下の戦略が用いられました。
第一に「知識戦略」として、本文を読む前に見出しやキーワードに注目させ、既有知識を活性化させます。たとえば「警察官の求人募集」という文章なら、読む前に「この話題について何を知っているか」を考えさせるのです。これは料理に例えれば、材料を確認してから調理を始めるようなものです。
第二の「理解戦略」では、文章を歴史的・文化的文脈に位置づけながら意味を抽出します。文字を追うだけでなく、なぜこの情報が重要なのか、社会的背景は何かを考えさせます。
第三の「応用戦略」は質問を生み出す力です。文章を読みながら「なぜ応募者はこの職を求めるのか」「警察の役割とは何か」といった問いを自分で立てさせます。これにより、受動的な読者から能動的な思考者へと変化します。
第四の「分析戦略」では、文章に潜む偏見や前提を批判的に検討します。著者の視点を理解し、同意するか否かを自分の知識枠組みで判断させるのです。
第五の「評価戦略」では、読んだ内容の妥当性を判断し、主要な概念を整理します。グループ討論を通じて、文章の信頼性や重要性を議論させます。
最後の「統合戦略」は要約の技術です。単なる縮約ではなく、自分の言葉で再構成し、時には異なる視点を加えることで、批判的読解の到達点を示します。
研究手法の妥当性
Olifantは155名の9年生(日本の中学3年生相当)を対象に、準実験的デザインを採用しました。実験群と統制群に分け、前者には6つの戦略を明示的に教え、後者は通常授業を続けました。この手法は医学研究で新薬の効果を検証するのと似た厳密さを持っています。
興味深いのは、事前テストの段階では両群とも読解力が低く、多くの生徒が「読むこと」と「批判的に読むこと」の違いを理解していなかった点です。これはAlvermannという研究者が指摘する「生徒は自分を批判的読者だと思っているが、実際にはその技能を欠いている」という現象そのものでした。
統計分析には二元配置分散分析という手法が用いられ、結果の信頼性が担保されています。データを見ると、統制群は事前から事後で有意な改善が見られませんでした(p = 0.157)。一方、実験群は明確な向上を示しました(p = 0.001)。この数字は、介入の効果が偶然ではなく、明確に存在することを示しています。
具体的な成果と発見
各戦略の効果には興味深い違いがありました。「知識戦略」と「理解戦略」では両群とも比較的高い得点を記録しました。これは基礎的な読解技能―文字通りの意味を把握すること―はある程度できていたことを示します。しかし高次の思考を要する「分析」「評価」「統合」では、介入群のみが顕著な伸びを見せました。
特に注目すべきは「応用戦略」の結果です。School Aでは両群とも低得点のまま変化がありませんでしたが、School Bの実験群は向上しました。これは学校環境や教師の指導スタイルが戦略の定着に影響することを示唆しています。実際、Olifant自身が介入を実施したことで、説明の一貫性や丁寧さが保証されたと考えられます。
研究では、生徒たちが従来「批判的読解」を単なる「速読」や「大量の読書」と混同していた実態も明らかになりました。しかし介入後、実験群の生徒たちは文章を読みながら立ち止まり、著者の意図を問い、社会的文脈を考慮するようになったのです。
教育現場への示唆
この研究が示す最も重要な知見は、「明示的な戦略指導の力」です。Olifantは各戦略について、なぜそれが必要か、どう使うか、いつ使うかを詳細に説明し、実例を示しながら練習させました。これは多くの教師が陥りがちな「とにかく読ませれば力がつく」という誤解を覆すものです。
南アフリカの国家読解戦略は2008年に導入されましたが、本研究が示すように、政策だけでは不十分です。教師自身が読解指導の深い理解を欠いている場合、戦略を効果的に伝えることはできません。実際、調査では多くの教師が「生徒は自然に読めるようになる」と信じていたことが報告されています。
日本の英語教育にも通じる課題があります。文法や語彙の習得に時間を割く一方で、「どう読むか」という戦略的側面の指導は手薄になりがちです。本研究は、母語であれ外国語であれ、読解戦略は教えられるべき技能であり、放置すれば格差が固定化することを示しています。
特に英語を第二言語として学ぶ環境では、母語で培った読解技能が自動的に転移するわけではありません。SnowやGriffinといった研究者も指摘するように、言語学習の教室でこそ、戦略指導が不可欠なのです。
研究の限界と課題
Olifantは論文で研究の限界も率直に述べています。対象がGauteng州の2校のみであり、結果の一般化には慎重さが必要です。また、介入は実験群のみに行われ、統制群は通常授業を続けたため、教師の違いや学校文化の影響を完全には分離できません。
さらに、保護者の読書習慣や家庭環境といった社会文化的要因は検討されていません。南アフリカは歴史的に教育格差が大きく、資源に乏しい学校の生徒ほど読解力が低い傾向があります。PretoiusやRibbensは、リテラシーは社会文化的文脈に深く根ざしていると論じており、学校だけの介入では限界があることも事実です。
また、6か月という期間が長期的な効果をもたらすかは不明です。戦略が定着し、生徒が自律的に使えるようになるには、継続的な支援が必要でしょう。実際、介入終了後に追跡調査が行われていないため、効果の持続性は未知数です。
読解力不足の構造的背景
南アフリカの読解問題は、単なる教育技術の問題ではありません。アパルトヘイトの遺産として、黒人層の学校は長年にわたり劣悪な環境に置かれてきました。教師の質、図書館の有無、家庭での読書文化の欠如など、複合的な要因が絡み合っています。
PIRLSの結果を見ると、南アフリカは14か国中10位という低順位でした。同じアフリカ諸国でも国によって差があり、教育政策や社会経済状況が大きく影響しています。Olifantが言及するSACMEQという地域調査でも、2000年から2007年にかけて南アフリカの読解力はほとんど改善していません。
初等教育の段階で音素認識や語彙獲得が不十分なまま進級すると、後の学習に深刻な支障をきたします。National Reading Panelの報告によれば、低学年での音韻処理の弱さは、高学年の読解困難を予測する強力な指標です。南アフリカでは、小学3年生までに「読むことを学ぶ」段階を完了する目標がありますが、実際には多くの児童がそこに到達できていません。
批判的思考と読解の関係
Olifantが強調するのは、批判的思考と読解の不可分な関係です。FacioneやHalpernといった研究者は、批判的思考を「目的志向で根拠に基づく思考」と定義します。単に情報を受け取るのではなく、その背後にある意図、偏り、妥当性を評価する能力です。
これは民主的な社会参加に不可欠な力です。Comberは、読解力がなければ、特権を問い不正義に挑戦することができないと主張します。南アフリカのような複雑な社会的歴史を持つ国では、批判的読解は単なる学業成績の問題を超え、社会変革の道具となりえます。
興味深いのは、南アフリカのCAPSというカリキュラムが批判的リテラシーの重要性を明記しているにもかかわらず、実際の教室では十分に実践されていない点です。Taylorによる調査では、教師がカリキュラムの要求を十分に理解せず、機械的に従っているだけの場合が多いとされます。これは教師教育の質そのものが問われる問題です。
戦略指導の本質
本研究が成功した要因の一つは、戦略を「手順」として教えるだけでなく、「なぜそれが有効か」を理解させた点にあります。たとえば要約の練習では、単に短くするのではなく、主要概念を抽出し自分の言葉で再構成することを求めました。これは創造的統合であり、表面的な作業とは質が異なります。
また、各レッスンの終わりに、生徒たちが学んだ戦略について話し合う時間が設けられました。「この戦略を使って何がわかったか」「難しかった点は何か」「日常でどう使えるか」といった振り返りは、メタ認知能力を育てます。自分の読み方を客観視し、調整する力は、自律的な学習者への鍵です。
PressleyやAllingtonは、効果的な読解指導には複数の戦略を組み合わせる必要があると述べています。単一の魔法のような方法は存在せず、文脈に応じて柔軟に戦略を選ぶ力が求められます。Olifantの介入は、まさにこの多様な戦略のレパートリーを構築するものでした。
日本の英語教育への視点
日本の英語教育も、読解戦略の明示的指導という点では課題を抱えています。多くの授業では、文法訳読が中心で、「どう読むか」より「何が書いてあるか」に焦点が当たりがちです。結果として、生徒は教師や訳例に依存し、自律的に英文を読む力が育ちにくい状況があります。
しかし、本研究が示すように、戦略は教えることができます。たとえば予測(prediction)、質問生成(questioning)、要約(summarizing)といった技能は、英語の授業でも体系的に指導可能です。GuthrieやKlaudaの研究でも、こうした戦略指導が読解力と学習動機の両方を高めることが示されています。
日本の場合、大学入試が読解指導に大きな影響を与えます。精読型の出題が多ければ、授業もそれに合わせた形になります。しかし、実社会で求められるのは、膨大な情報から必要なものを素早く抽出し、批判的に評価する力です。この乖離を埋めるためにも、戦略的な読解指導の充実が求められます。
教師の役割と課題
Olifantは、教師の指導アプローチが決定的に重要だと繰り返し述べています。戦略を知っているだけでは不十分で、それをいつ、どのように、なぜ使うかを生徒に明確に伝える必要があります。これは高度な教授技術であり、教師自身が読解プロセスを深く理解していなければ実現できません。
南アフリカでは、多くの教師が読解指導のトレーニングを十分に受けていないことが報告されています。Bothaらの調査では、教師が読解戦略の導入を躊躇する背景に、自信のなさや知識不足があるとされます。これは他国でも共通する課題で、教員養成課程でのリテラシー教育の強化が急務です。
興味深いことに、統制群でも若干の改善が見られました。これはテストを受けること自体が学習効果を持つ「テスト効果」かもしれませんし、学校全体で読解への意識が高まった影響かもしれません。しかし、その改善は統計的に有意ではなく、体系的な介入の重要性を裏付けています。
社会的公正と教育
読解力の不足は、個人の問題にとどまりません。ParrisやGambrellが指摘するように、リテラシーは社会的・経済的参加の前提条件です。読めない人は、雇用機会が限られ、市民としての権利行使も困難になります。BiancarosaとSnowは、読解力不足が生涯にわたる不利益をもたらすと警告しています。
南アフリカの文脈では、これは人種や階級の問題と深く結びついています。歴史的に疎外されてきたコミュニティの子どもたちが、質の低い教育しか受けられず、その結果として読解力が育たず、社会的流動性が阻まれるという悪循環が存在します。
Olifantの研究は、この悪循環を断ち切る可能性を示しています。適切な介入があれば、短期間でも生徒の読解力は向上します。これは教育投資の重要性を裏付けるとともに、放置することの代償の大きさも示唆しています。
今後の展望
この研究は、いくつかの重要な問いを残しています。第一に、効果の持続性です。介入終了後も生徒たちは戦略を使い続けるのか、それとも元の習慣に戻ってしまうのか。長期的な追跡調査が必要です。
第二に、規模の拡大可能性です。研究者自身が介入を行った本研究では、高い質が保証されましたが、これを通常の教師が実践できるかは別の問題です。教師研修プログラムの開発と評価が次の課題となるでしょう。
第三に、デジタル時代の読解です。現代の生徒は、紙の本だけでなく、ウェブページやSNSなど多様なテキストに接します。これらのデジタルテキストに対する批判的読解力の育成も、今後の研究テーマとなるはずです。
最後に、多言語環境での読解です。南アフリカには11の公用語があり、多くの生徒が家庭語と異なる言語で教育を受けています。母語での読解力と第二言語での読解力の関係、戦略の転移可能性なども、さらなる探究が必要な領域です。
結びに代えて
Olifantの研究は、教育研究の本来の姿を体現しています。現場の切実な問題から出発し、理論に基づいた介入を設計し、厳密な方法で効果を検証する。そして結果を現場に還元する。このサイクルがあってこそ、教育は改善されます。
南アフリカの課題は遠い国の話ではありません。日本でも、読解力の格差は存在します。PISAなどの国際調査では、日本の平均点は高くても、下位層の厚さや、読書習慣の二極化が指摘されています。すべての子どもに質の高い読解指導を届けることは、日本にとっても喫緊の課題です。
読むことは、知識を得る手段であると同時に、世界を理解し、自己を形成する営みです。Olifantが目指したのは、単にテストの点数を上げることではなく、生徒たちが自律的な読者となり、批判的な思考者として社会に参加できるようにすることでした。その志は、国や言語を超えて、すべての教育者が共有すべきものでしょう。
この研究が示す希望は、適切な支援があれば、どの生徒も読解力を伸ばせるということです。悪循環は断ち切ることができます。そのためには、戦略の明示的指導、教師の専門性向上、そして教育への持続的な投資が不可欠です。読解力の育成は、個人の未来だけでなく、社会全体の公正さと繁栄に関わる、まさに根幹的な課題なのです。
Olifant, F. M. (2024). Breaking the cycle of poor critical reading comprehension: A strategy-based intervention. Literator, 45(1), Article a2080. https://doi.org/10.4102/lit.v45i1.2080
