研究者と背景
この論文”Determinants of L2 English reading proficiency among Thai learners of English in tertiary education: A multicomponent perspective”の著者であるA. J. Benjamin Clarkeは、タマサート大学言語学部で教鞭を執る助教授です。イギリスのReading大学で認知心理学の博士号を取得し、20年以上にわたってイギリス、ルーマニア、タイで英語教育や心理学の指導に携わってきました。言語と認知の交差点に研究の焦点を当て、母語話者と非母語話者の両方における言語の理解、産出、習得に関わる認知メカニズムとプロセスの解明に取り組んでいます。
タイでは英語が小学1年生から必修科目となっており、国の発展において重要な役割を果たしています。しかし、タイの学生は英語力、特に読解力に課題を抱えているという認識が広く共有されています。多くのタイの大学では、授業はタイ語で行われる一方で、教科書やスライドなどの教材は英語で書かれているという、いわゆる「並行言語環境」が存在します。このような環境では、学生は英語の文献を読んで専門知識を身につける必要があり、優れた読解力が学業成功の鍵となります。
研究の目的と参加者
この研究では、タマサート大学の学生101名を対象に、英語の読解力を構成する様々な要素を調査しました。参加者の平均年齢は21.51歳で、全員がタイ語を母語とし、英語を第二言語として学習してきました。彼らの英語力は、LexTALEという語彙テストで測定したところ、平均70点(100点満点)で、ヨーロッパ言語共通参照枠のB2レベル(中上級)に相当しました。つまり、少なくとも12年間英語を学習し、大学入学に必要な英語力を満たしている学生たちです。
研究は完全にオンラインで実施され、参加者は約1時間半かけて様々なテストを受けました。興味深いのは、この研究がEnglish Reading Online(ENRO)プロジェクトという国際的な大規模研究の一部だったことです。このプロジェクトには7000人以上の大学生が参加し、様々な母語を持つ学習者の英語読解パターンの類似点と相違点を調査しています。
読解力を測る多様なテスト
研究では、読解力とそれを支える様々な要素を測定するために、包括的なテストバッテリーが使用されました。まず、読解テストでは15の文章を読み、それぞれに3問ずつ、合計45問の選択問題に答えてもらいました。文章はダ・ヴィンチの発明やサミュエル・モールスといった歴史的人物など、自然現象や歴史的事象について書かれた説明文でした。これらの文章の難易度は、アメリカの高校生や大学生向けのレベルに相当し、中級から上級の英語学習者に適したものでした。
読解力は正答率で測定されましたが、同時に読むスピード(1分間に読める単語数)も測定されました。これは「読解の流暢さ」と呼ばれる重要な要素です。さらに、聴解力を測るために、1〜2分の音声を聞いて25問の問題に答えるテストも実施されました。音声はアメリカ英語の発音で、人生経験を語る物語でした。
英語の構成要素を測るテストには、文法判断テスト(30の文が文法的に正しいかどうかを判断する)、語彙知識テスト(最大70問の語彙問題)、綴り認識テスト(正しい綴りと間違った綴りを見分ける)、正字法認識テスト(英語らしい見た目の単語を選ぶ)などが含まれていました。また、単語がどれくらい速く正確に認識できるかを測る語彙判断課題も2種類実施されました。
予想を裏切らない発見と新たな気づき
分析の結果、いくつかの重要な発見がありました。まず、読解力と聴解力の間に強い相関関係が見られました。これは、文章を読んで理解する能力と、音声を聞いて理解する能力が密接に関連していることを示しています。言い換えれば、聴解が得意な学生は読解も得意で、その逆も成り立つということです。
この発見は「Simple View of Reading(読解の単純な見方)」という理論を支持しています。この理論は、読解力は「単語を正確に読む力(デコーディング)」と「言語を理解する力(言語理解)」という2つの要素の組み合わせで説明できるというものです。まるで自転車に乗るには、バランスを取る力とペダルをこぐ力の両方が必要なように、読解にも複数の能力が必要なのです。
興味深いのは、因子分析という統計手法を使った結果、3つの潜在的な要因が浮かび上がったことです。第1の要因は「単語デコーディング能力」で、語彙判断課題の正確さ、語彙知識、綴り、正字法認識などが含まれました。第2の要因は「言語理解」で、読解力と聴解力がここに含まれました。第3の要因は「単語処理速度」で、語彙判断課題での反応時間(どれくらい速く単語だと判断できるか)が含まれました。これら3つの要因を合わせると、読解力に関する変動の52%を説明できました。
読解と聴解、そして流暢さの複雑な関係
階層的回帰分析という方法を使って、各要因がどの程度読解力、聴解力、読むスピードを予測できるかを調べました。その結果、英語の構成要素(語彙、文法、正字法など)は読解力の変動の31.4%を説明し、さらに聴解力を加えると説明力は51.1%まで上昇しました。同様に、聴解力については英語の構成要素が44.8%を説明し、読解力を加えると50.6%になりました。
しかし、読むスピード(流暢さ)に関しては状況が異なりました。単語処理速度は変動の13.9%しか説明せず、英語の構成要素を加えても合計26%にしかなりませんでした。これは、読解力や聴解力と比べて半分程度の説明力です。
この発見は重要な示唆を含んでいます。つまり、理解力と流暢さは読解力の異なる側面であり、異なる能力によって支えられているということです。さらに興味深いことに、読むスピードが速い学生ほど理解力が低い傾向が見られました。これは「速度と正確性のトレードオフ」と呼ばれる現象で、速く読もうとすると正確な理解が犠牲になる可能性があることを示しています。
母語話者との比較から見えてくるもの
研究では、タイ人学習者のデータを、ENROプロジェクトに参加した英語母語話者3853名のデータと比較しました。その結果、いくつかの興味深い傾向が明らかになりました。
タイ人学習者の読むスピードは1分間に約192語で、英語母語話者の267語と比べて約30%遅いことがわかりました。しかし、理解力に関しては、タイ人学習者が69%、英語母語話者が73%と、それほど大きな差はありませんでした。これは、理解力は母語話者に近いレベルに達することができるものの、読むスピードを母語話者並みにするのは非常に難しいことを示唆しています。
ちょうど、外国語で話すときに、言いたいことは正確に伝えられても、母語話者のようなスピードで流暢に話すのは難しいのと似ています。理解することと、流暢に処理することは、異なる技能なのです。
日本の英語教育への示唆
この研究の発見は、日本の英語教育にも重要な示唆を与えてくれます。まず、読解力を伸ばすには、単に文章を読む練習をするだけでは不十分だということです。語彙力、文法力、正字法の知識といった基礎的な要素を体系的に強化する必要があります。
また、聴解力と読解力が密接に関連しているという発見は、4技能(読む、書く、聞く、話す)を統合的に教えることの重要性を裏付けています。聴解の練習が読解力の向上にもつながる可能性があるのです。
さらに、読むスピードと理解力のトレードオフの関係は、速読訓練を行う際の注意点を示しています。ただ速く読むことを目指すのではなく、理解を維持しながら徐々にスピードを上げていくというバランスの取れたアプローチが必要です。
日本の大学でも、英語で書かれた教科書や論文を読む機会が増えています。この研究が示すように、大学入学までに必要な英語力を身につけた学生でも、学術的な文章を読むには特別な支援が必要かもしれません。特に、専門用語の語彙力や、複雑な文法構造を理解する力を意図的に伸ばす必要があります。
研究の限界と今後の展望
研究者自身が認めているように、この研究にはいくつかの限界があります。文法知識が読解力とあまり強く相関しなかったのは、文法テストが音声形式で実施されたことが影響している可能性があります。また、聴解テストではサーバーエラーにより、参加者の半数分のデータしか得られませんでした。
さらに、オンライン形式での実施という制約から、形態素認識や音韻認識といった重要な要素や、ワーキングメモリーなどの一般的な認知能力は測定されませんでした。また、母語(タイ語)での読解力も測定されていないため、母語の読解力が第二言語の読解力にどう影響するかは明らかになっていません。
今後の研究では、これらの限界を克服し、より包括的な読解力のモデルを構築することが期待されます。特に、読むスピードに影響を与える要因について、さらなる調査が必要です。また、テキストの種類(学術的、物語的、技術的など)や読む目的(ざっと読む、詳しく読む、要約するなど)が、理解力やスピードにどう影響するかも興味深いテーマです。
結びに
この研究は、第二言語の読解力が単純な能力ではなく、様々な要素が複雑に絡み合った多面的な能力であることを示しています。語彙、文法、正字法などの知識に加えて、聴解力も重要な役割を果たしています。しかし、理解力を高めることと、流暢に読めるようになることは、必ずしも同時に達成されるものではありません。
英語学習者にとって、母語話者のような理解力を身につけることは可能ですが、同じスピードで読めるようになるには長い時間がかかります。これは決して悲観的な話ではありません。むしろ、どの能力を優先的に伸ばすべきか、どのような練習が効果的かを考える上での有益な情報です。
教育現場では、学習者の多様なニーズに応じて、理解力と流暢さのバランスを考えた指導を行うことが大切です。時には丁寧に読んで深く理解することが必要ですし、時には素早く情報を得ることが求められます。この研究が示すように、それぞれに必要な能力は異なるのです。
Clarke, A. J. B. (2025). Determinants of L2 English reading proficiency among Thai learners of English in tertiary education: A multicomponent perspective. LEARN Journal: Language Education and Acquisition Research Network, 18(1), 640–672. https://doi.org/10.70730/QHPY7996
